心華寺の由緒
比叡山延暦寺不滅の法灯
比叡山延暦寺の根本中堂内陣にある不滅の法灯(ふめつのほうとう)は、西暦788年(延暦7年)に最澄が根本中堂の前身である一乗止観院を建立した時に本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげて以来、1200年間一度も消えることなく輝き続けていると伝わっているため、「不滅の法灯」と呼ばれる灯火
心華寺はその灯火の御分灯いただきました、お寺の一つです。
月次祭紹介映像
毎月執行います月次祭の紹介映像です。
多くの参拝者の方に参列いただいております。
四無行ドキュメンタリー
心華寺金港辯財天住職
岡田道顕住職ご挨拶
心華寺オフィシャルサイトにご訪問いただきありがとうございます。
昭和四十三年京都府宇治市生まれ
平成十一年
心華寺金港辯財天 副住職
心華寺研修道場 副道場長
令和二年
心華寺金港辯財天 住 職
心華寺研修道場 道場長
平成元年 | 心華寺金港辯財天 入山 斯波最誠師の下で10年間 下座行(小僧生活)をおくる |
平成十年 | 比叡山登山 四度加行 履修 下山後心華寺にて21日間 夜間 33㎞の懺悔練行 8日間の断食・断水・不眠・不臥 行 開始 |
平成十三年~二十三年 | 毎年100日間の五穀塩断ち行 42日間の懺悔練行 8日間の断食・断水・不眠・不臥 行 |
平成二十四年~令和元年 | 42日間の五穀塩断ち行 42日間の懺悔練行 20度の8日間の断食・断水・不眠・不臥 行を満行 12月22日~24日 断食断水 八千枚大護摩供 (於 下関市 愛宕寺) |
令和二年 | 12月4日~6日 断食断水 七座 華水供護摩 (於 心華寺金港辯財天) 12月22日~24日 断食断水 八千枚大護摩供 (於 下関市 愛宕寺) |
令和三年 | 12月3日~5日 断食断水 七座 華水供護摩 (於 心華寺金港辯財天) 12月22日~24日 断食断水 八千枚大護摩供 (於 下関市 愛宕寺) |
令和四年 | 大辯財天修儀21座 厳修 11月27日~12月4日 宇賀辯財天浴酒供 21座 断食にて厳修 (於 心華寺金港辯財天) 12月22日~24日 断食断水 八千枚大護摩供 (於 下関市 愛宕寺) |
先代 斯波最誠
昭和二十二年 山形県山形市生まれ
心華寺金港辯財天 初代住職
心華寺研修道場 初代道場長
昭和四十一年 | 比叡山入山 10年間瀧口宥誠師の下で修行(下座行に徹す) |
昭和五十一年 | 京都府宇治市、心華寺 金港辯財天 住職となる。 ゼロからのスタート。1週間に渡る断食・断水の修行開始。12年間続ける |
昭和五十一年 | より天に向かって説法、心華照十方の実践、無・ゼロからの出発で、人から人、企業から企業の心の波動により、心華寺において10万人余の人に説法、企業 約1,500社が社員を派遣、起床から就寝まで生活のすべてに渡り「己が己に勝つ、自己管理実践哲学」を徹底して指導する。年間1万人の研修受講者がある。 柔和な顔の中にも、厳しい修行を積み重ねた人だけが持つ特有の雰囲気と鋭い眼光からほとばしる数々の説法は、聞く人の心を揺さぶり、開眼のチャンスを与えずにはいられない。 |
昭和五十六年 | 50日間、毎日33kmの徒歩行懺悔行の開始。6年間続ける |
平成十年 | 比叡山延暦寺不滅の法灯・ご分灯される(叡山開闢初) 「心に華を咲かそう会」結成。社会奉仕活動 、盲導犬育成・世界を「花いっぱいにして平和を願う心を育もう」と呼びかけると共に、人間形成の為「にんげん学」講座の勉強会を各地(京都・大阪・小倉・愛知、東京)で展開 |